ラスアス2に仕掛けられた演出
昨今、ゲームのみならず あらゆる分野で【 ストーリー 】を語る際、
分かりやすい勧善懲悪ものというのは減ってきていて、
かつてのハリウッド映画でのナチスドイツや、冷戦下のソ連のような、
絶対的な悪が出てくる作品というのは、
多様化が叫ばれる時代柄 少なくなってきている気がします。
主人公も汚い手を使ったり、
悪にもそれなりの行動の動機があったり、
必ずしも善が善、悪が悪とは言い切れない。
そういった話が主流で、
昔の時代劇のように分かりやすい勧善懲悪ものは敬遠されるか、
‶ リブート ” と言う形で現代風にアレンジされて
世に出ることがほとんどです。
『 ラスアス 』シリーズもこの例に漏れません。
しかし、特に『 ラスアス2 』で画期的だったのが、
ストーリーを進めていく上で、
倒すべきモブ敵にまで、名前やその人物の背景を与えたことです。
ステルスで身を潜めている間、
プレイヤーは 倒すべき敵キャラクターの愚痴や、
最近身の周りで起こった出来事を盗み聞くことになります。
ある敵をステルスで倒した時、
その死体をもう一人の敵が見つけると、
倒された仲間の名前を呼んで悲しみ、
プレイヤーに対し呪詛の言葉を吐きます。
( 時には犬にまで・・・。)
それでもエリー編をプレイしている時には、
‶ だいぶ設定に凝っているな ” くらいにしか思いませんでしたが、
アビー編になると、
今までプレイヤーが エリー として倒してきた敵一人一人に
家族や人生があったことを、
否が応でも突きつけられます。
開発元の Naghty Dog は、
なぜわざわざ このような手間のかかることをしたのでしょうか?
それは 前作のラストでの ジョエル の選択を
単純に英雄視するのではなく、
別の視点からも見ているからではないでしょうか。
ジョエル が正しいと思って起こした行動は、
マーリーン や ファイヤフライのみならず
全人類にとっては悪であり、
そのことによって引き起こされる憎しみの連鎖は、
最終的には ジョエル の身にブーメランのように降りかかってきます。
つまり、視点が変われば、正義も変わり 悪も変わる。
絶対的な正義など存在しない。
そのことを作品を通してプレイヤーに
身をもって刷り込む目的もあって、
キャラクター1人1人に命を吹き込むという演出方法を取ったのではないでしょうか。
その後、復讐の炎に心を捉われる エリー の姿は、
同じく父を殺され復讐を完遂した
アビー の写し鏡だと言えるでしょう。
もちろん『 ラスアス2 』で ジョエル が殺害されるのはゲーム序盤なので、
その時点でなぜ ジョエル が復讐されなければならなかったのか、
まだはっきりとはしません。
しかし 前作をプレイして、
「 これって必ずしも いい話ってだけでは片付けられないな。」
と引っかかりがあった人には、
ジョエル が死を迎えた時も何となく納得でき、
‶ さもありなん ” と達観した視点で見れたのではないでしょうか。
つまり、ジョエル の死を、
1人の愛すべきキャラクターの受け入れがたい死と捉えるか、
前作の行動の 因果応報として受け入れるかによって
プレイヤーのストーリーへの感情移入の深度( 特にアビー編 )
が変わってきますし、
アビー を憎き悪役として嫌悪するか、
( エリー と同じように、こんな状況下でなければ普通の女の子だったであろうに・・・、 )
逆境の中、何とかもがいてもがいて信念を貫こうとする、
父親思いの、血の通ったキャラクターとして、
愛着を持てるかが 分かれてくるのではないでしょうか。
・・・#3へ続く
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