FIFAワールドカップ 思い出のBest Bout ③

FIFAワールドカップ サッカー
数々の名勝負を生んできたFIFAワールドカップ

私的 ベスト・バウトをご紹介

これまで数多の名勝負が繰り広げられてきた FIFAワールドカップ。

第1回のウルグアイ大会から始まって、

今回のカタール大会は22回目を数えるが、

その中から 私が個人的に記憶に残っている試合『 ベスト5 』を、

振り返っていきたいと思う。

③ 1998年 フランス大会 ブラジル × デンマーク ( Quarter Final )

【1】ダニッシュ・ダイナマイトの再来

北欧の小国 デンマーク。

普段それほど注目されることの無いこの国だが、

フットボールの世界において、幾度か

世界中からの注目を一身に浴びることがあった。

1度目は1986年のメキシコワールドカップ。

エースの FWエルケーア、若きドリブラー FWミカエル・ラウドルップ( 以下 M・ラウドルップ )を中心とした

破壊力抜群の攻撃は、対戦相手の脅威となり、

『 ダニッシュ・ダイナマイト 』と恐れられた。

惜しくも決勝トーナメント初戦で、

ブトラゲーニョ 率いるスペインに大敗を喫するも、

世界中に与えたインパクトは

大きなものだった。


2度目は1992年の EURO( ヨーロッパ選手権 )だ。

大会前、誰一人として

彼らの優勝を予想する者はいなかった。

それどころか、出場権すらなかった。

出場を予定していたユーゴスラヴィアが

激化する内戦への制裁として出場権を剝奪された末の、

代替での出場だった。

準備期間も十分に取れず、

既に FCバルセロナでスター選手の地位を確立していた M・ラウドルップ は

監督との不和から不出場を表明していた。

ワールドクラスと言えるタレントは

ミカエルの弟 FWブライアン・ラウドルップ( 以下 B・ラウドルップ )と、

ゴールキーパーの GKピーター・シュマイケル のみで、

彼らも国際的にそこまで有名ではなかった。

しかし、小粒ながらも FWポウルセン、

MFイエンセン、DFオルセンなど、

要所要所に軸となる選手を擁し、

個人の能力で劣る分はチームプレーで補った。

何より急な代替出場で準備期間が少なかったことで、

全員で守ってからのカウンターという堅守速攻に徹底することが出来たため、

ピーター・シュマイケル の超人的なセーブと、

B・ラウドルップ の破壊的なドリブルが冴え渡った。

次々と強豪国を破る番狂わせを演じて、

同国史上初のヨーロッパ王者の地位を獲得する結果となった。


【2】ラウドルップ兄弟

世界のサッカー史上、

兄弟揃ってプロになった選手自体珍しくはないが、

揃って一流選手になれた例は数えるほどだ。

有名どころでは、オランダの デ・ブール兄弟。

イングランドの ネビル兄弟、

最近ならベルギーの アザール兄弟 などが挙げられるが、

もちろんデンマークの ラウドルップ兄弟 も

このリストに加えられるだろう。

2人とも卓越したドリブラーでありながら、

兄ミカエル はパサーとしても超一流の、

今で言うファンタジスタ。

スピード豊かな 弟ブライアン は

よりウィンガータイプの選手で

爆発的な突破力が持ち味だ。

ただ速くて巧いだけでなく、

重心の低さからくる体幹の強さもあり

まさに重戦車のようなドリブルで、

一人でフィニッシュまで行く力を持っていた。

ポジションこそ違えど、2人のプレイフォームは瓜二つで、

遠目には区別が難しいほどそっくりだった。

一般的には、ユベントスやバルセロナの一員として

トヨタカップで来日経験があり、

日本のヴィッセル神戸でも活躍した

ミカエル の方が有名で人気があると言えるだろう。

( あの イニエスタ も子供の頃のアイドルとして

ミカエル を挙げている。)


しかし、私は弟の ブライアン の方が断然好きだった。

92年の EURO 優勝の立役者というのもあるが、

当時急速に海外サッカーが身近になり始めた時期で、

WOWOW で放送されていた セリエA において

フィオレンティーナ に所属する彼のプレーを

初めて見た時の事を今でも鮮明に思い出す。

ディフェンスの堅いことで知られる セリエA において、

イタリア代表 DFマルディーニ を初め、

相手DFを完膚なきまでに切り裂くドリブルは、

衝撃以外の何物でもなかった。

当時のフィオレンティーナには、

アルゼンチン代表 FWバティストゥータ を筆頭に、

ドイツ代表 MFエッフェンベルク や、イタリア人 FWバイアーノ など、

魅力的な攻撃陣が揃っていた。

最終的に攻撃に特化しすぎたためバランスを欠いたチームは

シーズン終了後 セリエB 降格の憂き目にあうのだが、

一時期は首位争いに加わるほどの勢いで、

特に ブライアン の存在は

私に強烈なインパクトを残した。


【3】サッカー界のキング

対するブラジルは、『 いつものブラジル 』だった。

というのはつまり、いつもと同じ

『 スーパータレント集団 』という意味においてだ。

しかし、一つ違っていたのが、

FWベベット、MFリバウド、左SBロベルト・カルロスといった

超一流のタレントに加えて、

すでに FCバルセロナ や インテル・ミラノで

その圧倒的な才能を爆発させていた、

怪物ロナウド を擁していたことだろう。

彼こそは、ペレ、マラドーナ 以来 空位となっていた、

真の意味での ‶ サッカー界のキング ” となる人物と目されていた。

前回アメリカ大会は 優勝のノルマこそ果たしたものの、

ブラジル国内では 戦術が守備的すぎると批判する向きも少なくなかった。

今回のフランス大会は前回大会のチームをベースに、

もはや世界屈指のMFとなったリバウドや、

成長したロナウドらを上乗せした形で、

ブラジルらしい ‶ 魅せて勝つ ” サッカー、

ペレ を擁した70年メキシコ大会のドリームチームの再現を

世界中のサッカーファンが期待していた。

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